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2006年3月12日 (日)

“寄せ”の技術

午前中レッスン。先週似顔絵の話で話題にしたサエちゃんは今日は付いてこなかった。話を聞いてみると・・・今日ギター行く?って訊いたら“今日は行かない”って言ったらしい。で、どうしてかっていうと「おかあさん、発表会があるから“ちゃんと”練習したほうがいい・・・」って。だから今日は私は行かないからじっくりレッスンを受けてきなさいって。5歳ですよ。なんだか子供の成長ってすごいなと思ったり。その上、おかあさんが練習しているのを聴いてて「違うよー、先生は“こういうふうに弾いて”って言ってたよー」って歌って聴かせたりするらしいです。いわゆるトレーナーってやつですね(笑)。

その後は昭島へ。3/19の発表会向け2回目の合同練習。先月の合同よりさすがに集まって良いサウンドが出ている。殆どが個人レッスンの生徒だから合奏経験が少ない人が大半だけど、案外揃うものだなとやや感心。これなら形になるでしょう。所々注意した点もその場でコントロールできてイイ感じ。

RIMG0350合奏練習のあとは残れる人でリハーサル会。ココで緊張しておくと後々楽ですよ。みんなもう曲がまとまっているので聴き応えのあるリハだった。まあ、弾くほうとして大事なのは練習の時と本番(リハ)の時のギャップを解っておくことですかね。練習は何度も繰り返してだんだん調子が出てきたりするものだし、緊張もないから言わば“最高の状態”の演奏が出やすい。会心の演奏が出てしまうと案外それまでのことを忘れてしまって“自分はココまで出来る”と思うもの。それはもちろんその通りだし、その実力がある証でもあるのだけれど、これがいつ何時でも出ると思うとそれはちょっと違う。ステージは一発、一筆書きですからね。“ココまで出来る”と“ココまで出来なきゃダメ”と思うことは少し違う。超一流のプロだってそう毎度毎度“最高”が出る訳ないのは冬季オリンピック見ていたってそうでしょう。

まず最高の状態、会心の出来、本来自分の持っている最大の実力を正確に理解すること・・・これはとても大事。そしてプレッシャーやその他様々な状況によってそれがどのくらい、どういう形で変化するかを体感すること。次にその幅をどこまで狭めていくか、言い方を変えればその幅の中のどこまでを狙いとするかを考え、設定するかということだと思うのですよ。・・・つまりゴルフ的考え方ですね。演奏はグリーンへのアプローチショットみたいなもの。会心の演奏はチップイン。ショットはカップを目指したとしても毎度インするわけでもない。カップインしなかったからと言ってその都度「自分はいつもダメだ」とか思っていたらきりがない。実際はカップに向かって“寄せる”ってことがとても重要だったりするわけで、そのコントロールがうまく出来るようになった先にタマーに会心のカップインがあったりするということです。グリーンの中のイイ場所に落とすことを心がけましょう。良く練習して上手にできているのに緊張に弱い人は“自分の演奏がどこを狙っているか”一度考えてみるといいです。案外カップ以外はダメ的考えに陥っているのではないですか?自分はそうでした(笑)。あ、ちなみに僕はゴルフやりません。見るだけです。

さて、そんなことを考えつつ一旦家に帰り食事を済ませ、夜は立川市ギター倶楽部の執行部の皆さんと会合。4月からコーチですからね、今後の曲や運営についてなどいくつか確認。大筋のコンセンサスは得て、あとは実際にレッスンを進めつつって感じですね。楽しみにしています!

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