ガット弦と巻弦のこと~ピラストロマスと銀めっき
先日、原善伸先生とチャットにて
ディオニシオ・アグアドやエミリオ・プジョールが教本に記した
爪弾きや指頭引きに関する記述について話していたところ
ちょっと面白いものがありました。
プジョールが自分で使っている弦のゲージに触れています。
クリックで大きくなりますので是非見ていただきたいのですが
たとえば第1弦で12.5-13.5という数値・・・。
注釈ではこれが1/10mmの単位だというから驚きでした。
だって、これ第3弦でも使わないくらい太いですよ。
わたし「・・・ちょっと考えられませんね、ホントかな(^_^;)」
原先生「この半分ならわかるけどね」
それからいろいろ調べていたのですが
以前よくお世話になっていた、ムシカアンティカ湘南の資料ページに
ピラストロの話を見つけることができました。
2-4,ピラストロ社の弦の太さ
ガット弦をお好みの方が使っている場合が多いピラストロ社は独自のゲージ(太さ)を表す表示単位「ピラストロマス」を使っており、1pm(ピラストロマス)が 0.05mm 換算となります。
これでプジョール教本の弦のはなしがつながりました。
これはピラストロマスであの数値の1/20がミリメートルなんだと思います。
つまり、原先生のおっしゃる通り半分でした。
文章も挿絵もピラストロですしね。
あー、なんかスッキリしました。
巻線の方は「ソルの頃はどんな低音弦を使っていたか」という話題で
もちろん、芯線はシルク(かガット)で異論はありませんが
今回は巻き線の話。
これはフィガロの薮社長ともいろいろ意見を交わしたものでした。
結局19世紀初頭は銀めっき(電解めっき)はまだなんじゃないか
ということで、純銅線を巻くということで合意したのですが、
例えばウエムラ工業HP「めっき産業のあゆみ」には
https://www.uyemura.co.jp/museum/plating/chapter01/index.html
電気めっきの発明
1800年にイタリアの物理学者・ボルタによってボルタ電池が開発されたことは、それまでアマルガム法や置換めっきによって行われていためっき処理方法に大きな変革をもたらすきっかけとなりました。1805年にボルタの僚友のブルグナテリは、ボルタ電池を使って初めて電気めっき(電解めっき)に成功しましたが、当時ヨーロッパで強い影響力を持っていたフランス皇帝ナポレオンとの対立により、彼の研究成果はフランスの学会で隠匿され、実用化には至りませんでした。
電気めっきの実用化
ブルグナテリの後、1830年代から40年代にかけて世界の複数の科学者によって電気めっきの開発が行われ、その技術は産業界に広まりました。イギリスのバーミンガムで金銀玩具の製造業を営んでいたエルキントン商会は、メッキ加工の改良を考え、1840年に電気金・銀メッキの特許を申請し、認可されました。ロシアでは、1858年に首都サンクトペテルブルクにおいて、建物内部に世界で初めて大規模な電気金メッキが施された聖イサアク大聖堂が完成しました。
という話が掲載されており、
ちなみにわたしのラコートは1828年(原先生も同年)なんで微妙~(笑)。
ただ1830-40年代にかけてめっき技術が急発展したのであれば
カルッリ(1770-1841)やソル(1778-1839)の晩年頃は
後の主力となる銀めっき銅線巻の低音弦を試していたかもしれませんね。
では、めっきになる前はどうだったでしょうか。
フィガロで作ってもらった「純銅」(どうだけに?)
あと「純銀」というのは有ったと思います。高価な感じはします。
純銅は素材としてけっこう柔らかいですね。
銅に錫を混ぜたブロンズや亜鉛を混ぜたブラスなども可能性はあるのかなあ。
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