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2020年2月13日 (木)

大学でどんな勉強をしたのか

このところ、パソコンをウィンドウズ7から10に買い替えて
中身の移行を進めているのですが、

前のパソコンのデータから
2011年に書いた小論文?のような文章が出てきました。
ああ、こんなこと書いた書いた!懐かしいなあ。
というわけで思い出として、ここに載せておこうと思いました。

わたしの生徒(当時中学生)のお兄さんだったかな、
進路を考える時期だったんでしょうか。
お母さんを通じて
「ギターの先生に大学や専門学校のことについて聞きたい」
と言われて作った、お手紙のようなものです。

前半は大学に入学するまでの身の上話ですねえ。
しかし、3200文字。よく頑張って書いたなー。(笑)

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「大学でどんな勉強をしたのか」

わたしは日本大学芸術学部音楽学科、もう少し細かく書くと管弦打楽器演奏コースのギターを専攻し4年間で卒業しました。ただそれはもう20年も前になりますから、これから書いてお伝えすることと今は少し様子が変わっているかもしれません。

実はわたしは大学に進む前に2年ほど専門学校へ通っていました。もちろんギターの学校です。高校のころには「もっとギターや音楽について勉強したい、できることならぜひギターの道に進みたい」と思っていたので、いわゆる授業で習うような勉強はあまり好きではありませんでした。得意な教科はありましたが、それ以外はそれらを勉強する意味も感じられずモチベーションが低かったものです。わたしが高校生だった当時はまだギターが日本の音楽大学にはほとんど取り入れられておらず、ギターを勉強したい人は外国の学校へ留学したりしていましたが、私の周辺ではそういった情報もなく私の選択肢に留学はありませんでした。

わたしが通った専門学校は座学というかいわゆる学校らしい授業を行うようなシーンは少なく、レッスンや練習がメインでした。他に実習という名目で関連教室の宣伝や先生としてレッスンをするようなこともやりました。すべての専門学校がそうであるとは言えませんが、専門学校とは即戦力をつけるというか、仕事のやり方を教えるというかそういうところなのだなあと実感しました。興行的なコンサートのプログラムをどう組むか、あるいはそういうことをするためにどういう仕事(手伝い)などが必要かとか、どういう宣伝をすると生徒さんが入ってくれるかとか、そういうことを重要視してカリキュラムが進められていたように思います。

今となっては、そこで教わったことも大変役に立っていますが当時のことを振り返ると少々不安がありました。なぜなら確かに演奏会の実践経験はいくらかしているものの、基本的な音楽やギターの勉強がまだまだ足りないのに、どんどんやり方だけを覚えていくのがどうもしっくりこなかったのです。このままではいけないと思い、はじめ4年コースで入学したところを途中で2年コースに変更して卒業してしまいました。

今思えば「このままではいけない」の気持ちばかりで、何の先行きも決めずに両親に相談もせずに卒業してしまったのですからその頃のことを思い出すと、よく今があるものだと思います。

日本大学芸術学部(日芸)のギター専攻についてはちょうどそのころ第1期の学生が募集され、ギター界でも話題になっていました。わたしはぜひそこに行ってもう一度勉強したいと考えました。

当時の日芸の受験は学科…国(古文・漢文も含む)・英と専門科目…ギター・ピアノ・ソルフェージュ・楽典 が試験科目でした。学科は専門学校で2年離れていただけでしたが相当忘れていて、そのままではもちろん独学でも無理そうだったので高円寺の予備校に通いました。故有って受験準備に取り掛かったのが5月の連休前後だったこともあり、いくつか名の知れた予備校にも相談したのですが、高円寺のところ以外はみんな「あなたに合格は無理!」とまともに取り合ってもらえませんでした。高円寺だけは変わっていて「2か月毎日通って職員室で勉強しなさい、それができたら改めて入学を許可します(それまでお金はいらないから)」と言ってくれて涙が出るほどうれしかったのを覚えています。もちろん、頑張って通い続け、7月ごろから合流しました。学科は初めのころはどんどん偏差値が伸びましたが、高校時代の偏差値まで上がるとほぼ止まり、時々高い値が出たときは「これは受験テクニックだな」と思ったものです。

受験項目のギターは課題曲がわたしにとって易しかったこともあり、ほぼ問題ないと結論しました。むしろ問題だったのはピアノでした。鍵盤経験は小学生のころエレクトーンを2年くらいやった程度でまあ初心者。ただ、同じような境遇の受験生はたくさんいるだろうと自分を奮い立たせました。ピアノはソナチネ程度と受験要綱にありました。さっそくレッスンを受け始めましたがまずツェルニーの30番という、初心者には難しい課題を出され、「これができなかったらバイエルから入るが、そうだと受験には間に合わないかも」と言われ、ギターを放り出し一日何時間もピアノを弾きました。ギターがやりたくて受験するのにこれは何なんだとも思いましたが、これをこなさないと門をくぐれないのですからこの時ばかりは頑張ったものです。ソルフェージュや楽典も音楽教室に通って教えてもらいました。

いろいろな方々のおかげでどうにかその年で大学に入ることができました。ギターコースの2期生でした。

大学に入ってからの勉強は大きく分けて2つありました。一つは一般教養とよばれる高校時代の授業の延長のような内容のものと専門科目といわれる音楽や芸術全般の勉強・レッスンなどです。

高校の授業では学ぶべきものをパッケージされ、学校に言われるがままに何時間目は数学だとか科学だとかそんな感じで進められていましたが、大学ではある程度自由に学びたい科目を選択します。1年かけて習得(合格)すると単位というものがもらえるのですが、人文・科学・社会という3つの分野からバランスよく単位を取ることを求められました。もちろん必修もあり、英語や体育などがそれにあたりました。

専門科目は音楽美学や音楽史など講義を受けるタイプのものと作曲法や指揮法など実践的なもの、あとは先生からレッスンを受けることなどがありました。レッスンを受ける楽器は専門のギターのほか、ピアノや声楽も必修の副科としてあり、必ずやらなくてはいけません。講義のほうは年間数回なので内容は概論的なものか講師の好きな話題に偏りますから、いずれにしてもその科目について広くしっかり学べたという実感はありませんが「なるほどこういう世界があるのか」というような意味では自分の生き方や考え方、音楽にも影響があったと思います。それらは後に本を読むなど勉強を進めることも可能ですし。実践的な授業もこの先に進むための入り口はわかりました。レッスンは専門楽器やアンサンブルについては大変良かったと思いましたが、ピアノや声楽が今役立っているかは何とも言えないなあと思っています。特にピアノは入学前にあれだけ練習したにもかかわらず入学後まったくモチベーションを失い、劣等生でした。自身ではギターばかり弾いていたのだから当たり前と言い訳をしています。

大学について、わたしの時代でも「よい就職のため」とか「周りが行っているから」という理由で受験や専門学科を決めるケースは往々にしてありましたが、建前からいえばやはり学問をするところだと思います。大学は「勉強したい」「もっと理解を深めたい」というものに対して、それとじっくり向き合える時間と設備と頼れる先生と仲間がいるところでした。受験の時も入学してからも必修で若干のやりたくない勉強やそういったこともあるかと思いますが、まあやりたいことをどんどん追求したい人にとってはこんなにいい場所はないなあと思います。

ちなみに音楽大学で教室の生徒さんの集め方、初心者のレッスンの仕方や看板の張り方、演奏会のマネジメントなどを教えないのは大学が学問を追及する場であって職業としてのプロになることを特に求めていないからなのでしょう。ただ、そうは言っても実際に仕事をするときにはやはり学問的な理論や、一般教養的なものなど一見稼ぐこととは関係ないこれらも広く知り、経験していることは大切だと思います。これらはもちろん大学でなくとも学べるでしょうが、わたしが受験した時に予備校、ピアノ、ソルフェージュ、楽典、ギターといくつもまわって勉強したことを考えると、一つの場所で学べるのはかなり効率も良いのだと思います。

わたしは今でも大学に行けてよかったと思っていますし、そこで学んだことは今も活かされています。行かせてくれた母や協力してくださった方々にも大変感謝しています。

ご参考になれば幸いです。

 2011年11月23日 長谷川郁夫

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