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2022年3月28日 (月)

サラマンカの学生 op.31(J.フェレール) L’Étudiant de Salamanque op.31 (José Ferrer)

Photo_20220328021801
https://youtu.be/vlKQ9j0eP0Q

サラマンカの学生 op.31(J.フェレール) 
L’Étudiant de Salamanque op.31 (José Ferrer)

ギター演奏:長谷川 郁夫
指頭奏法
Guitar:Ikuo HASEGAWA
playing the guitar without using nails.

サラマンカの学生 op.31(ホセ フェレール 1835-1916)
L’Étudiant de Salamanque op.31 (José Ferrer 1835-1916)
フェレールのタンゴは以前op.50-3を収録し、ついこの前op.19-1も収録しました。次は俗に1番といわれているものに目を付けて調べていったところ、これはop.31で「サラマンカの学生」というタイトルがついており、よく知られたタンゴにも続きがありました。これには「へぇ~、オリジナルはこんな曲だったのか」と少なからず驚きがありました。

楽譜はペトルッチ楽譜ライブラリーより入手できます。
https://s9.imslp.org/files/imglnks/usimg/0/0e/IMSLP43260-PMLP93355-salamanque-op31.pdf

まず楽譜を眺めてみると冒頭にはこうあります。
[献呈者] à mon élève Madams Valentine SARRUT
(わたしの生徒、ヴァレンディン・サルー夫人)
[タイトル] L’Étudiant de Salamanque
(サラマンカの学生)
[サブタイトル[ Pièces caractéristiques espagnoles
(スペイン風小品)

構成はまずよく知られたAmのタンゴ。よく見るタンゴのみの演奏譜では転調のあとまた最初に戻って終わるのですが、オリジナルのこちらは最初に戻ることなく続いてワルツに進みます。さすらうようなイメージがあり、途中p指を滑らせて弾くように指示される和音や装飾を伴った単旋律の動きにもスペイン風を感じます。そして、最後はAメジャーに転じ「バスクの太鼓の模倣(タンバリン)」と書かれたセクションを弾きラスゲアードを決めて曲を閉じます。

不思議なタイトル「サラマンカの学生」、サラマンカはスペインの街の名前なのですが調べていくとスペインの詩人エスプロンセーダ(1808-1842)による同名の長編物語詩作品があり、どうもこれを本曲のタイトルに持ってきたと思われます。この文学作品の方は日本語訳され岩波から出版されていましたので一つ読んでみようと思って注文してみましたが、スペイン在住の頼れる兄と慕う渡邊さんにも何かヒントはあるでしょうかと尋ねたところざっくりとしたあらすじを教えてくれました(感謝!)

読んでみたい方、↓こちらどうぞ。

サラマンカの学生 他六篇 (岩波文庫) 

著者によれば「第二のドン ホアン」とのことで、女垂らし、不信心、ペテン師、高慢、威圧的で疑い深い人間(主人公) Don Félix de Montemarの物語で、彼の振った女が絶望に暮れて死んでしまい、復習に燃えるその兄と決闘するような話でした。

また、「バスクの太鼓」というのはこの文学とは別でスペインバスク地方でおこなわれる伝統的なお祭り「サン・セバスディアンの太鼓祭り(Tamborrada)」のことではないかと思われます。
こちらは様子を簡潔にまとめたこんな記事がありました。
https://evenear.com/event/detail/11326

以上を勘案するとどうも、タイトルにした文学がこの楽曲の内容に反映しているかは不明・・・というかあまり関係ないんじゃないかという気がしてきました(笑)。

ここからははわたしの想像・妄想ですがフェレールはこのたび「愛弟子へ」という曲を書くときにお得意のタンゴやワルツに加えて例えばレッスンの時の雑談で話題になったバスクの太鼓祭りも盛り込んで、さらにその生徒が感銘を受けたとか言っていたな、と物語詩のタイトルもつけて小さくても盛りだくさんなスペイン音楽のパフェを作ったんじゃないでしょうか。

岩波の日本語訳を読んで何か発見があったらまたご紹介しますね。

作曲者ホセ・フェレールは
スペイン、カタルーニャの生まれ。同じくカタルーニャのギタリスト、ホセ・ブロカ(1805-1882)に師事しています。ブロカはD.アグアド(1784-1849)のギター指導を受け、弟子にはアグアドメソッドで教えたと言いますからフェレールはアグアドの直系?孫弟子と言えるかもしれません。1882年(47歳)~1898年(63歳)パリへ居を移し音楽学校で教鞭をとり、また歴史ある劇場で公式のギタリストとなりました。その後はバルセロナの音楽学校でも教えるようになりパリとバルセロナを行き来していましたが1905年(70歳)にはバルセロナに定住しそこで1916年、81歳で没しました。

ペトルッチ楽譜ライブラリー、ホセ・フェレールの項目はこちら
https://imslp.org/wiki/Category:Ferrer,_Jos%C3%A9

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