「あの震えが教えてくれたもの」
独奏のステージに立つと手が震える。それはもう、弦が掴めなくなるほど。
学生の頃、極度のアガリ症だったわたしにとって、それは日常的な試練だった。
練習でどんなにスラスラ弾けていたって、ひとたび本番で震えが始まればその様子は一変し、出来ていたことの一割も発揮できない。努力が報われないもどかしさと、「こんなことで、わたしは音楽を続けていけるのだろうか」という問いが、いつも心のどこかにあった。
けれど、不思議なことにアンサンブルではその震えがまるで現れなかった。
それはどうしてだろう?何かここに重大なカギがあるような気がしていた・・・。
近々わたしのちいさな教室も例年の発表会を迎えることになり、先日生徒さんと話す中で改めてその事を思い返す機会があった。
わたしは生徒さんにこう話した。
アンサンブルでは「音楽的に何をするか」というビジョンがはっきりしていたのだと思う。
相手の音をよく聴くことに集中し、それに呼応して発音する。
あらかじめ約束した表現を実行することもあれば、偶発的な揺れへ即興的に対応することもある。ときに分身のようにピタリと寄り添い、ときに対話のように音を交わす。
やるべきことが多くて、面白くて、緊張でこわばる暇なんてない——
今思えば、そんな状態だったのだ。
一方で、独奏の場面では、わたしは音楽に没入していたというより、「成功」することばかりを意識していたのではないかと思う。
ミスをしないように、完璧に弾けるように。
それは表面的な意味では音楽を大切にしているように見えるけれど、実際には「何を伝えたいか」という問いを置き去りにしていたのかもしれない。
そしてそこには、技術を求めれば求めるほどキリがない、満足の見えない世界が広がっていた。
どれだけ練習しても「これでいい」はやって来ない。そもそもアピールしたいピカピカの自己なんて自分の中にない。そして本番の時刻は必ず訪れる。
一人ぼっちという重圧感もさらに拍車をかけていただろう、祈るような気持で「失敗しませんように」あるいは「失敗に誰も気がつきませんように」と願う、その尽きぬ不安が、極度の緊張を引き寄せていたように思う。
例えば車を運転していても「一瞬のふらつきすらなく走る」などということばかり考え、足元しか見ないようではむしろ危なっかしいだろう。
それよりも、前を向いて正しく「目的地に向かう」ことが大切だ。
どこへ向かっているのか。何を伝えたいのか。何を描きたいのか。
音楽にもその「目的地=ビジョン」が必要なのだと思う。
心に北極星を持つこと。
目先の成功や失敗に心が揺れても、それさえあれば、また道を見出せる。
自分が震えながら求めていたのは、本当は技術でも評価でもなく、誰かと音楽を通して「何かを分かち合いたい」という道しるべだったのかもしれない。
そのように思えば、自分だけの成功を守ろうとすることが、なんと小さく、なんと苦しいことだったのだろう。
その小さな「守り」が、自分自身を縛り、震えさせていたとは、なんとも皮肉な話だ。
けれど今は、伝えたいものがある。分かち合いたい想いがある。
それがある限り、たとえ何があっても、わたしは音楽の中にいられる。
だからわたしは、あの頃の自分にこう言ってあげたい。
「君の震えは弱さではなく、方向を見失った強さの表れだったのかもしれない。
音楽のストーリーを、メロディの美しい形をしっかりと胸に描くこと。
それを伝える、ただそれだけでいいじゃないか。
少々のミスでその物語が壊れることはないし、心を乱す必要もない。
何を伝えたいのか、何を分かち合いたいのか——そこに戻れば、きっと音楽は君の味方になる」
今、あの頃の自分に寄り添えるようになって、ようやくわたしはかつて悩まされていた「あの震え」にも意味があったと思えるようになった気がしている。
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